単純な脳、複雑な「私」~笑うと幸せになる理由?
久々に超ヒットだった脳科学のご本。
ふせん、貼りまくり!
見えていると思っているモノ、
自らの意思や気持ちだと感じている事柄が
いかにあやふやだったか!!
・・目からウロコ、ぼろぼろでした@@
あなたの価値観も
グラグラさせてくれること、請け合いです^ ^
目次
なぜ口角を上げると楽しくなるのか?
ライフハックのひとつで
「口角を上げると、楽しい気分になる」
というのをご存知でしょうか。
人は、「楽しいから笑う」のではなく
「笑うから楽しくなる」という論ですね。
どうやら脳は、私達の
「行動を通して、意味付けをしている」
ようなんです。
箸をタテにくわえて漫画を読むのと、
箸を横にくわえた、つまり
口角が上がった状態で読むのとでは
後者の方が「面白い」と感じられるという
研究結果があるのですねー
やる気→行動ではない、逆!
他にも
やる気になってから
やる気が出る訳ではなく
「身体を動かす→淡蒼球を刺激
→やる気が出てくる」というお話があるのですが
それに関しては
池谷裕二先生の別の著書「のうだま」に
分かりやすく書かれています
(こちらはマンガエッセイ)
右顔を重点的にメイクすべし?!
ご存知の通り
右脳と左脳で働きが違います。
イメージや画像を認識するのは
主に右脳。
左右は交差して把握されるので
顔なんてどうせ半分しか見てもらってないんですよ(笑)。相手から見て左側の視野、つまり自分の右顔だけ。
・・なんていう事が
実際は起こっているそうです@@
確かに、神秘的な微笑のモナリザも
左右反転すると、もっと笑ってるように見えます。
今後、忙しい時のメイクは
右顔重視が良いかも知れません^ ^;
「正しい」は「好き」の言い換えに過ぎない
その他、心に残った言葉たち。
僕らにとって「正しい」という感覚を生み出すのは、単に
「どれだけその世界に長くいたか」というだけのこと
「正しさ」は、記憶のアクセスのしやすさによって変わってしまう。
あるいは、そのときの状況によっても変わってしまうような、とても危ういもの
「正しい」は「好き」の言い換えに過ぎない
自分の感情と身体的事実(行動)が矛盾していると、僕らってすごく不快な思いがする。
感情と行動は一致させたいわけ。心身が乖離した状態からいち早く抜け出したい。
→感情を操作して行動に合わせる
脳はやっぱり自分の取った行動を通して、自分の状況を理解している
日常生活は作話(意味のでっち上げ)に満ちている
側頭葉のある部分を刺激してマヒさせると、写真に写っている人物が自分か他人かわからなくなってしまう
自分という存在、「自己」もまた脳によって創作された作品だということになる
幽体離脱(体外離脱体験)は右脳の角回を刺激すると出来る
自分のとった行動を見て、その行動が思い通りだったら、さかのぼって自由意志を感じるんだね。結果が伴わない限り自由はない
実際には、自由は「過去」に向かって感じるものだ。
自由は、行動よりも前に存在するのではなくて、行動の結果もたらされるもの
・・・うーん、深い。深すぎる(ーー;
心も記憶も曖昧
この本を読んでいると
「自分だ」とか
「わたしのキモチだ」とか思っている事が
実はそうではなく
たまたま、脳によって
作り上げられたモノかもしれないという
摩訶不思議な感覚に囚われました@@
でも、実はコレって
最近感じてたことでして
自分の気持ちや考え方って
さじ加減ひとつでガラッと変わってしまうんですよねー
それこそ、180度ひっくり返るくらい。
都合の良い自分を作ればいいじゃん
そんなにあやふやで
恣意的に変えられるモノなのなら
自分の好きな「自分」を作ってしまえば
いいんじゃない?
自分の都合の良い
心にしようと
決めちゃえばいいのかも!?
・・まあ、そのためには身体を動かして
無意識にアクセスする術も必要なのですが
なんだか
面白くなってきましたよー*^ ^*
※書籍内で取り上げられていた動画が見られるサイト
「ピンク色の斑点が消える」とか超不思議です!
コメント
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笑うと長生きする、って言いますしね~。
うちの姪が、笑うと口角が下がってしまうんですが、
やはりあまり良い印象にならないんですよね。
口角を上げる練習はいいかもしれません。
うちの息子が昔、鏡の前で口角あげてましたっけ。
そのおかげか、写真うつりがいいんです。
心姫さん♪
おお~
女子力の高い息子さん、写真うつりも良いのねww
ウチも、私がムスッとしてると
末っ子が「ママ、わらってー?」
とニッコリ詰め寄って来るんですが
彼は結構いつも上機嫌なんですよね・・
自分の機嫌を取るのが上手っぽいので
私もあやかりたいと思います^ ^