さっき、死にかけたのに
今日は一日、車で外出していました
夕方の帰り道、大雨の中
山道のカーブを回ろうとしたその時
突然 ハンドルが効かなくなりました
あの世に近づいた0.5秒
ロックが掛かってしまったのか、タイヤは
あらぬ方向を向いたまま、車は大きくスリップし
崖の方向へ横滑りしているその間
多分0.5秒にも満たなかったでしょう
でも とても長く感じました
後方車はおらず
幸いにもスリップは止まり 車は元の方向に戻りました
もし、後方車に突っ込まれていたら
もし、スリップが止まらず ガードレールを超えていたら
私は谷に落ちていました
車道中央に戻ってから数秒後
ようやく動悸が早くなり
そして何故か右手だけ、急速に冷えていきました
日常に戻るスピードの速さよ
一体何が起こったのか
結局は何も起こらなかったとも言えますが
一瞬、私はいつもより
死に近い場所にいたと思います
無事に家まで辿り着くことが
奇跡の様に思えました
だけどその後はまた
何もなかった様に慌ただしく
子供を迎えに行き
夕飯を作り
屁理屈を言う子供を叱り
仕事のレポートを仕上げ
数時間前の恐い思いなど、すっかり忘れて
全くの日常に戻っていました
!!・・・・!?@@;
そんな自分に気付いて
呆れて愕然としているのが今ですOrz
生きているのが当たり前の日常で
いつか必ず来る死を認識することの難しさ
いや、ホント、びっくりです。
いくら忘れっぽいからって
こんなにすぐに、忘れる?
それくらい、日常のルーチンワークというものは
定型化した思考と感覚に、引き戻す力があるのでしょうか?
・・それ以前に
今日死にかけた、危なかったという事を
否定したい意識があるようです
私は、多分長生きすると思っているので
(特に願っている訳ではありません)
「死にかけた」というのは
セルフイメージとかけ離れた事象であり
受け入れがたいのかも知れません
もう既に、遠い昔の記憶、もしくは
夢の中の出来事に思えます
でも、実際のところ
この身はいつ何時、死んでもおかしくない
事故 災害 犯罪 病気
1秒後ですら、何が起こるか未来は分からないのに
どうして何十年も先の生を信じられるのか
そして、こんな事を考えていると
また、右手だけがひんやりと冷えて来るのです(ーー;
明日死ぬとしたら?
やるべきでないことは、やらないほうがいいよね
そして
いつ死んでもいいと思いながら
出来る仕事を選択したいと思います
今は一番、これを書きたかったので
今日は日記にさせていただきましたm(_ _)m
・・あの0.5秒は
常に側に置いておかないと。
余談 その後
もし、あのまま落ちて死んでたら
多分一番後悔していた、長男への愛情確認を
再度、伝えておきました
「もし、お母さんが突然居なくなっても
自分は愛されてたって事、絶対覚えといてな」と。
まだ小さい娘と末っ子には
ママが「もし」居なくなったらという話は
ややこしかろうので、やめておきました^ ^;
関連記事
>>「あした死ぬかもよ?」読みました。感想。泣いた(T-T)
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
なんともなくて良かったね
最近こういうこと多いのよね
わたし
エンディングノートも書き上げてない苦笑
>最近こういうこと多いのよね
>わたし
なんですと?!@@; 聞き捨てならん。。
エンディングノート、書くと死がより身近になりそうだね
生も逆に鮮やかになるといいけど。
私の場合は、集中力・判断力が落ちてるのかもね
ちゃんと右見て左見て行けると思って渡ったのに
すぐそばまで車が来てたりとか
ぎゃ!!って思うこと多いよ
最近信号渡るの怖いもん笑
車には乗らないから
きのちゃんみたいな恐怖は味わったことないけどね
こういう時に一歩間違えば…死と隣り合わせなんだって
思うことが増えてきた
私も長生きすると勝手に思ってたけど
今はいつ死んでもおかしくないなと思うようになってきた
年のせいかな。。笑い
大根はちみつにコメントしたら
承認待ちって出たよ
よろしくね
大したコメントじゃないけど笑い
・・・疲れてるな、りょうちゃん(ーー;
>今はいつ死んでもおかしくないなと思うようになってきた
そかー
誰にとっても、日常のすぐ側にいるよね。死って。
昨日も、車道の中央線を大幅にはみ出した対向車とすれ違って
「オイオイオイオイ@@;」って血の気が引いたんだけど
交通事故に合わない方が、奇跡だと思うよホントに。
パワフルりょうちゃんは
今までずっと、脇目もふらずに走ってきたから
そろそろ、アンダンテで歩くお年ごろなのかもね。
取り敢えず発表会まで気が抜けないだろうけど
張った糸は時々ゆるめて、体と心を休ませてあげてね*^^*